diary

オチのない話を書いていく

20/10/23 昔話

 今日の話は短い。

 

 かつて、心を病んでいた時期があった。今から4年ほど前のことである。

 僕は吹奏楽部に所属していた。部内のパワーバランスは予想通りのもので、人数差で女子に圧倒される日々だった。ある時、今まで支え合っていた唯一の男友達と仲違いした。多分僕の失言が原因なのだが、何を間違えたかはわからない。

 そうして僕は部内で孤立した。僕は1年間続けたユーフォニアムから、人数バランスを理由にテューバへの異動を命じられた。見た目が同じ楽器でも、その重量や必要な肺活量、ブレスの速さなど全てが異なる。僕は必死に練習を続けたが、その方法が非効率的だったこともあり、進歩は極めて遅いものであった。

 部活では、定期的に"パーリー会"という名の集会が開かれる。各楽器パートのリーダーが呼び出され、そこで練習の進捗状況や連携状況の確認が行われる。そして、男子部員に対しては至って普通にモラハラが行われる。内容は思い出したくもないので省くが、僕はその"パーリー会"で日常的に口撃を受け続けた。

 ある時、単純に体調不良から胃腸炎とインフルエンザに連続で罹患した。部活に復帰すると、待っていたのは理不尽な叱責だった。「胃腸炎程度で休むな」「インフルエンザに罹らない体にしろ」「体調を崩すな」無理な話だと思った。もはや部活の話ではない。病み上がりの僕は、未だ続く身体の不調と熾烈な叱責、慢性的な不眠が原因で、たった1週間で心を病んだ。同時期に、クラスのために企画した打ち上げがジョックの手によって失敗に終わったことで、更に心労を重ねることとなった。

 

 何に対してもビクビクしていて、少しの騒音で身体が硬直する。呼吸が常に苦しく、手足は震えて力が出ない。

 学校へは普通に行く。というより、行かないと却って症状が悪化した。医者が、強迫性障害です、と何の感情もなく僕に告げたのをよく覚えている。親は精神科の受診を頑なに拒んだため、大学生だった義理の姉が多忙の暇を縫って僕を病院に連れて行ってくれた。薬は出してもらえなかったが、カウンセリングは何度も受けた。定型文の励ましは、念仏とそう変わらないように思えた。

 夢を見た。白い綿毛が並木通りに一面覆いかぶさっていて、向こうから黒いトラックが走ってきていた。よく見ると並木の向こうは空港で、アメリカ人らしい屈強な軍人が僕に拳銃を向け走ってくる。反対方向へ走り出す僕は、空中を分裂しながら進む水色の水玉に捕まえられ、溶かされる。暗くなる視界の中で、 「世界の全て、教えてあげるね」と複数の子供から囁かれる。

 目が覚めると、得たはずの真理は消えている。妄言なのは知っているが、そこには確実に真理があった。

 

 この夢を見てしばらくして、症状は快方へ向かうこととなった。

 僕はあの時、世界の真理を得ていたのだろうか